荻島剣道クラブ

『遍歴』

〔創立時(昭和50年~52年頃)〕

荻島剣道クラブは、越谷市の肝いりで各地区の公民館活動の一環として、昭和50年9月、荻島公民館で産声を上げました。

当時の公民館館長の石井知章(現浄山寺御住職)が、自ら行っていた居合と共に剣道を普及して頂きました。

創立当初は、越谷市剣道連盟の重鎮であられた豊田範士8段始め、中野實、鋪野猷爾各7段の等蒼々たる先生方が御指導に赴いて頂き、入部希望者も数多く殺到し、100名を数える時期もあり、荻島小学校の体育館に加え雛壇も使用するという盛況振りであったと聞き及んでおります。

 

〔創成期(昭和53年~61年頃)〕

その後、定期の指導者がいないことから、53年春より越谷市役所に勤務の大橋敏男先生(現監査委員事務局長)が、激務の合間をぬって毎週土曜日の午後、体育館で御指導を頂きました。

基本を中心にのびのびとした技、木刀等も取り入れ、更に、保護者との連携を大切にされ、保護者の参画するクラブの育成に御尽力頂きました。

現在、当クラブが保護者の御協力がスムーズに得られますのも、先生が培って頂いた土壌の賜物と感謝申し上げる次第です。

また、この時期に、パートーナーとして沼田弘毅先生(警視庁勤務)、中尾新一先生(オムロン勤務)が、子供と共に剣道を始めたり、再開したりで、子供たちを愛情豊かに育んで頂きました。

 

〔転換期(昭和62年~平成2年頃)〕

しかし、先生も職務多忙で指導がままならなくなり、保護者や高校生が指導する事態となり、保護者から、市の連盟に指導者の要請を行った結果、市連盟理事の村岡秋先生(教士7段)が選ばれ、62年頃から指導に当たって頂きました。

先生は試合実績もあり、指導も上手で、子供たちも早期に上達しておりました。

私、永松教孝・富士恵夫婦は、62年に当越谷市に移転して参りました。

村岡先生とは10年来、日本武道館の武道学園で夫婦一緒に剣道を学び、公私共に御厚誼を頂いた先輩でしたので、先生から、指導の協力依頼があり、時間の許す限り稽古や合宿等に参加しておりました。

 

〔模索期(平成3年~平成9年頃)〕

ところが、平成3年3月に先生が郷里の鹿児島に転勤となり、後は頼むということで、去っていかれました。

当時は7・5・3歳の3人の子供を抱え、私も本社勤務で週に3日は深夜の1時に帰宅するような激務でしたので、自ずと妻と中尾先生更に高校生の伊藤聡史君に負担がかかってきました。

しかし、この当時も良き保護者の皆さんにも恵まれ、細々とではありますが継続してまいりました。

中尾先生には、12年暮れに長崎の諫早に帰郷されるまで御指導を頂きました。

おこがましいのですが、私ども夫婦の先生である大野操一郎・中野八十二・森島健男・小森園正雄・中村伊三郎・湯野正憲・岡憲次郎・加藤浩二・中村毅・大田忠徳の各先生方から剣道の本筋、本物を伝えなければならないとの、御指導を頂いておりましたし、私は多摩市で、妻は全剣連事務局で武道学園の子供たちに指導の手助けをしておりましたので、微力では御座いますが、自らの子供の躾と共に指導に没頭していった次第です。

そういう中で、平成4年から警視庁の己ノ瀬弘司先生(競歩の日本記録保持者)の加入により、指導の強化、基礎体力(通称ミノセ体操)を増強し、稽古日も週2回にし、夕方の稽古に変えました。

また、四書五経、日本・中国の先哲等語録、剣道の理念、剣道修練の心構えの素読等も取り入れ、日本剣道形も学ばせました。

それでも足りないところは対外試合を増やし、年に3回程度だったものを15~20試合程にしました。

この頃一番辛かったのは、礼儀と基本を大事にし、大きくまっすぐな打ちで稽古を増やし、対外試合に連れて行っても、1・2回戦で負けてしまって、保護者等からため息をつかれる時は、何ともいえない挫折感が訪れ、指導者の空念仏としか映らないのではと自信を喪失しそうな時も幾度かありました。

しかし、妻、富士恵の好きな言葉の「こつこつ」(湯野正憲先生の「兀々地」)とやっていると神の計らいがあるのか、その後、徐々に子供たちも力をつけてきて、7年には市の小学生大会で準優勝出来ました。

しかし、大きな大会で優勝できる程の力はありませんでした。

この約10年間の間、子供を3人抱え、一人の指導の時が相当あり、初心者他20~30名の会員を指導してくれた妻には感謝に堪えません。

また、この多忙な中でも、家庭婦人を中心とした稽古会(現越武会)の指導も頼まれ、本年まで15年間会長としてやってきました。

自らも全国家庭婦人大会に5回の出場を果たし、更に監督、また、昨年の埼玉国体では、成年女子のコーチに任命され優勝の縁の下の一端を担ってくれました。

夫としてはもとより、会長として御礼を申し上げます。

 

〔上昇期(平成9年~現在)〕

その後、元に立つ指導者の確保、上達、また、中・高校生の継続を念頭に、大人の稽古会を平成9年から始め、平成12年に「虔武館」と命名し、継続しております。(別項の虔武館を参照下さい。)

これが功を奏したのか、11年以降堀川智子先生(家庭婦人・大学選手権・インターハイの優勝者、筑波大卒)、内田雅之先生(高千穂校・法政大卒)、石井宏幸(芝スポ指導者)が指導者に加わり、お子さんも始めてくれるようになりました。

また、当クラブから育った藤井正幸先生、子供と始めた秋元享先生、三田太一先生等指導者が充実いたしました。

そのお陰で本年の市の小学生大会で、念願の団体優勝、個人入賞を多数出すことが出来ました。保護者共々感謝致しております。

 

『クラブのモットー』

当クラブは、基本と礼儀を大事にし、先哲等語録、剣道理念等、剣道修練の心構え等の素読

 「混然中處」

 「脚下照顧」

 「継続は力なり」

 

『清虔杯剣道大会』

基本と礼儀を大事にした清虔杯剣道大会を実施中(別項の虔武館を参照下さい。)

 

『指導者』

師範  教士7段=永松教孝・己ノ瀬弘司

副師範 錬士6段=永松富士恵・堀川智子・内田雅之・石井宏幸

    5段=藤井正幸・二瓶剛